薪が積み上がると、なぜ人は安心するのか

薪ストーブ

薪棚の前に立つと、
理由もなく、少し呼吸が深くなることがある。

整然と積まれた薪。
木の断面が並ぶ景色。
触れれば乾いた感触が伝わってくる。

それは、
「これで冬を越せる」という安心感なのか。
それとも、
「ここまでやった」という納得感なのか。

たぶん、その両方だ。


薪棚は、ただの置き場ではなかった

薪ストーブを始めたばかりの頃、
薪棚は完全に“実用物”だった。

雨に濡れなければいい。
地面から浮いていればいい。
乾けばそれでいい。

でも、薪仕事を重ねるうちに、
薪棚の意味は少しずつ変わっていった。

そこには、
これまで割ってきた薪の時間が、
そのまま積み上がっている。

暑い日の汗も、
うまく割れなかった苛立ちも、
黙々と斧を振った午後も。

薪棚は、
時間の可視化装置のようなものだった。


「見える備え」は、人を落ち着かせる

現代の備えは、見えにくい。
電気、ガス、ネット回線。
どれもスイッチの向こう側にある。

それに比べて、薪は違う。
量が見える。
触れられる。
減っていくのも、はっきりわかる。

だから、
十分に薪が積まれていると、
心まで静かになる。

不思議なことに、
薪棚を眺めていると、
「足りるかどうか」より先に、
「もう大丈夫だな」という感覚が来る。

理屈ではなく、感覚で理解できる安心。
それが、見える備えの強さなのだと思う。


一冬分の薪が教えてくれる「足る」という感覚

よく聞かれる質問がある。
「一冬分の薪って、どれくらいですか?」

正直に言うと、
答えは一つではない。

家の断熱性能も違えば、
焚き方も違う。
地域の冬の厳しさも違う。

でも、量そのものよりも大事なのは、
自分が安心できるかどうかだ。

薪棚を見て、
「これなら何とかなる」
そう思えたら、それが一冬分。

数字ではなく、
感覚で決まる量。

薪ストーブ生活は、
「足りないかもしれない」という不安と、
どう付き合うかを教えてくれる。


薪が減っていく不安、積み上がる安心

冬が深まるにつれて、
薪棚の景色は変わっていく。

少しずつ、確実に、
薪は減っていく。

その変化は、
どこか切なさもある。
でも同時に、
ちゃんと使っている実感でもある。

そして、
次の春や夏に向けて、
また薪を作る理由が生まれる。

薪棚は、
安心と不安の両方を教えてくれる場所だ。

でもその不安は、
漠然としたものではない。
行動につながる不安だ。

「また割ろう」
「次は少し多めに作ろう」

不安が、次の一手を示してくれる。


何も起きていないことの価値

薪棚が十分な冬は、
大きなトラブルが起きない。

寒さに追われることもなく、
燃料を気にしすぎることもない。

でも、
それは決して“何もしていない”わけではない。

むしろ、
何も起きないように、
時間をかけて備えてきた結果だ。

現代では、
トラブル対応が評価されがちだ。
問題を解決した人が目立つ。

けれど、
薪棚は教えてくれる。

何も起きない冬こそ、よくできた冬だ
ということを。


薪棚の前で立ち止まる理由

ときどき、用もないのに
薪棚の前で立ち止まる。

数を数えるわけでもない。
減り具合を確認するわけでもない。

ただ、眺める。

それだけで、
少し気持ちが整う。

薪棚は、
火の代わりに、
安心をくれる存在なのかもしれない。


次回予告(最終回)

次回はいよいよ、このシリーズの最後。

「薪をくべるとき、薪を割った日の自分を思い出す」

火の前で、
一年を振り返る回になる。

薪づくりから始まった時間が、
どうやって炎になるのか。
その話を、最後に。

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