薪ストーブの前に座ると、不思議な感覚になります。
誰に評価されるわけでもなく、誰に見せるためでもなく、ただ炎が揺れている。その前にいる自分も、同じように「ただ存在している」感覚になるのです。
そんな時間に読む一冊として、私は岡本太郎の『自分の中に毒を持て』ほど相性の良い本はないと思っています。
この本は、やさしい自己啓発書ではありません。
むしろ、読む人の価値観を破壊し、常識を燃やし、心に火種を残していく本です。
そして薪ストーブもまた、私たちの中の「余分なもの」を燃やし、必要な熱だけを残してくれる存在です。
他人基準で生きるほど、人は静かに死んでいく
岡本太郎は言います。
他人の評価を気にして生きることほど、つまらないことはない。
現代社会では、私たちは常に「正解」を探します。
・みんながやっているから
・評価されそうだから
・失敗しなさそうだから
・叩かれなさそうだから
こうして選び続けた人生は、確かに安全です。
しかし同時に、どこにも自分の火はありません。
薪ストーブの火は、誰かのために燃えていません。
自分のために燃えています。
その姿が、どこか岡本太郎の思想と重なって見えるのです。
「毒」とは、反抗心ではなく“自分軸”である
『自分の中に毒を持て』の「毒」とは、攻撃性ではありません。
それは、
・他人の期待を裏切る勇気
・常識を疑う力
・自分の違和感を信じる感性
・孤独を引き受ける覚悟
こうしたものの総称です。
薪ストーブを選ぶ人も、ある意味「毒」を持っています。
効率だけを見ればエアコンの方が楽です。
手間だけを見れば灯油ストーブの方が簡単です。
それでも薪ストーブを選ぶのは、「自分がそうしたいから」です。
その選択そのものが、すでに毒なのです。
薪をくべるたびに、他人基準が燃えていく
薪ストーブの前では、スマホを置きます。
通知も評価もいいねもありません。
あるのは、炎の音と、薪のはぜる音だけです。
その時間の中で、ふと気づきます。
「自分は、何を気にして生きていたんだろう」と。
炎は問いかけません。
評価もしません。
ただ燃え続けます。
その姿を見ていると、自分の中の
・世間体
・比較
・見栄
・恐れ
が、少しずつ灰になっていくのを感じます。
毒を持つ人は、静かに強い
岡本太郎の言葉は、派手に聞こえます。
しかし本質はとても静かです。
毒を持つ人は、叫びません。
誰かを否定しません。
ただ、自分の道を歩くだけです。
薪ストーブも同じです。
主張しません。
広告もしません。
ただ、黙って暖め続けます。
その静けさの中に、圧倒的な強さがあります。
炎の前で、人は本音に戻る
炎を見つめていると、人は取り繕えません。
格好つけられません。
本音だけが残ります。
・本当はどう生きたいのか
・何が怖いのか
・何を失いたくないのか
・何を燃やしたいのか
薪ストーブは、内省の装置でもあります。
岡本太郎が言う「毒」は、この本音からしか生まれません。
他人基準を燃やし尽くした先に残るもの
すべてを燃やした後、灰の中に残るのは、
「それでも自分はこう生きたい」という小さな火です。
それは弱く、頼りなく、しかし確かに存在します。
薪ストーブは、その火を思い出させてくれます。
岡本太郎の言葉は、その火に空気を送り込んでくれます。
まとめ:炎の前で、自分に毒を戻す
『自分の中に毒を持て』は、
自分を特別にする本ではありません。
自分に戻る本です。
薪ストーブの前で読むと、その意味が身体でわかります。
他人基準を燃やし、
評価を燃やし、
常識を燃やし、
最後に残った火だけを、大切にする。
それが、炎のある暮らしであり、
岡本太郎が教えてくれた生き方なのだと思います。



