薪割りのあとに読む『定年後』|働く意味を再定義する時間

薪ストーブ

働く意味を再定義する時間

薪割りを終えたあとの身体は、心地よく疲れている。
斧を振り下ろすたびに余計な考えが削ぎ落とされ、最後には「今日はこれでいい」と思える静けさだけが残る。

そんな時間にこそ、ページをめくりたくなる本がある。
楠木新の『定年後』だ。

この本は、老後のハウツー本ではない。
もっと根源的に、「あなたはなぜ働いてきたのか」という問いを突きつけてくる。

定年とは「終わり」ではなく、問い直しの始まり

多くの人にとって、定年はゴールのように語られる。
長年働いたご褒美としての自由時間。
あるいは、社会から降ろされる不安な瞬間。

『定年後』が面白いのは、そこをどちらにも寄せないところだ。
定年は「終わり」ではなく、それまで曖昧にしてきた価値観が露わになる時期だと描く。

  • 会社という看板が外れたとき、自分には何が残るのか
  • 肩書きがなくなったあと、誰と、何を語れるのか

これは老後の話ではない。
実は、今をどう生きているかの問いでもある。

薪割りは「成果が見える労働」だ

薪割りには、評価制度も昇進もない。
だが、割れば割るほど、確実に薪は増える。

汗をかき、音を立てて薪が割れ、山ができていく。
成果が曖昧になることは一切ない。

この感覚は、定年後に多くの人が求める「働く実感」に近い。
会社勤めの後半になるほど、仕事は抽象化され、成果は見えにくくなる。

  • 会議のための会議
  • 数字のための数字
  • 誰の役に立っているのかわからない仕事

『定年後』が指摘するのは、多くの人が「意味」ではなく「立場」のために働いてきたという事実だ。

薪割りには立場がない。
あるのは、「火を絶やさない」という目的だけだ。

働く意味は「承認」から「納得」へ

現役時代、働く意味は外にあることが多い。
評価、給料、昇進、他人の目。

しかし定年後、それらは一気に消える。
残るのは、「自分は何をしているときに、納得できるのか」という感覚だけだ。

薪ストーブの前に座り、炎を眺めているとよくわかる。
誰に褒められなくても、火が暖かければそれでいい。

『定年後』が描く理想像も、派手なセカンドキャリアではない。

  • 小さくても自分の裁量がある仕事
  • 生活リズムを壊さない働き方
  • 社会と細く長くつながる役割

それはまるで、薪を少しずつくべながら、火を育てる暮らしに似ている。

「やりがい」は後からついてくる

薪割りを始めたばかりの頃、楽しいという感覚はあまりない。
重いし、寒いし、効率も悪い。

それでも続けているうちに、
「今年はいい薪が揃ったな」
「火付きが違うな」
そんな小さな手応えが生まれる。

『定年後』でも語られているが、やりがいは最初から用意されていない
続ける中で、後から意味が立ち上がってくる。

定年後に「やりたいことが見つからない」と悩む人は多い。
でもそれは当然だ。
薪割りのように、まず手を動かさなければ、意味は見えてこない。

火の前で考える「これからの働き方」

薪ストーブの火は、急がない。
強くなったり、弱くなったりしながら、一定のリズムを保つ。

人生も同じだ。
全力で燃やす時期があり、熾火のような時期がある。

『定年後』は、熾火の時間を否定しない。
むしろ、その時間こそが人生の本番だと静かに語る。

  • 誰かの役に立つが、無理はしない
  • 稼ぎは小さくても、生活は豊か
  • 「まだ使える自分」を確かめ続ける

これは、特別な人の話ではない。
薪を割り、火を守る人なら、誰にでも理解できる感覚だ。

定年後の準備は「今の暮らし」に表れる

『定年後』を読みながら思う。
老後の不安は、老後に突然生まれるのではない。

今、
・肩書きがないと不安になるか
・何も予定がない休日に耐えられるか
・一人で時間を味わえるか

その答えが、すでに定年後の輪郭を決めている。

薪割りの時間は、定年後の予行演習のようなものだ。
誰に指示されるわけでもなく、
自分で判断し、手を動かし、結果を受け取る。

おわりに:働くとは、火を守ること

薪割りのあと、ストーブに火を入れる。
今日割った薪が、数時間後には熱になる。

この循環を知ってしまうと、
「働く意味」はずっとシンプルになる。

働くとは、
誰かの火を、あるいは自分の火を、消さないための行為なのだ。

定年後も、火は必要だ。
大きな炎でなくていい。
静かに、長く燃える熾火でいい。

薪割りのあとに読む『定年後』は、
そんな人生の温度を、ちょうどよく教えてくれる一冊だ。

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