はじめに|なぜ今「便利さを捨てる」のか
私たちはいつの間にか、「便利=正解」という価値観の中で生きています。ワンタップ、ワンクリック、スイッチひとつ。早く、正確で、失敗しない。確かに便利さは、私たちの生活を支え、時間を生み出してくれました。
しかしその一方で、どこか息苦しさを感じていないでしょうか。何かを待つことができない、結果がすぐに出ないと不安になる、効率が悪いことに意味を見出せなくなる。
薪ストーブのある暮らしは、そんな現代の感覚とは真逆の場所にあります。火はすぐにつかないし、部屋もすぐには暖まらない。手間も時間もかかる。それでも、この不便さの中でこそ、失っていた大切なものが静かに戻ってくるのです。
この記事では、便利さを意識的に手放したことで得られた「3つのもの」について、薪ストーブのある日常を通してお話しします。
① 時間の感覚|急がなくていいという安心
便利な道具は、時間を短縮してくれます。電子レンジ、全自動家電、即時配信の情報。どれも「待たなくていい」世界を作ってきました。
一方、薪ストーブは待つことが前提です。朝、新聞を読みながら火を起こす。薪が燃え始め、炎が安定し、少しずつ部屋が暖まっていく。その過程は決して早送りできません。
最初はこの時間が、無駄に感じるかもしれません。しかし不思議なことに、慣れてくるとこの「何もしない時間」が心地よくなってきます。火を見ながら、ただ待つ。急がなくていい。何かを生産しなくてもいい。
便利さを手放すことで、時間は「管理するもの」から「味わうもの」へと変わりました。結果を急がない安心感は、心の余白を生み、暮らし全体を穏やかにしてくれます。
② 生きている実感|身体と感覚が戻ってくる
スイッチひとつで完結する生活では、私たちは「操作する人」になります。そこに身体性はほとんど介在しません。
薪ストーブは違います。薪を割り、運び、くべる。火加減を見ながら空気を調整する。炎の音、薪の爆ぜる匂い、手に伝わる重さ。五感がフルに使われます。
面倒です。正直、効率は悪い。でもその分、「自分が暮らしをつくっている」という実感があります。誰かが用意した快適さではなく、自分の手で整えた暖かさ。
便利さを捨てて得たのは、効率ではなく納得感でした。身体を使い、失敗し、工夫する。その積み重ねが、自分の生活に対する誇りを静かに育ててくれます。
③ 足るを知る心|満たされる基準が下がる
便利さは常に「もっと」を要求します。もっと早く、もっと暖かく、もっとムラなく。終わりのない改善と比較が続きます。
しかし薪ストーブの火は、完璧ではありません。暖かい場所とそうでない場所があるし、火力も刻々と変わります。でも、その不均一さこそが心地よい。
今日はこのくらい暖かければ十分。火が安定している。それだけで満たされる。便利さを手放すと、幸福のハードルが下がります。
「足りないもの」を探すのではなく、「すでにあるもの」に目が向く。足るを知る心は、我慢ではなく、深い安心感をもたらしてくれます。
便利さを捨てるという選択
便利さを否定する必要はありません。便利なものは、今もこれからも私たちの味方です。
ただ、便利さだけに囲まれていると、気づかぬうちに失うものがあります。待つ力、感じる力、満たされる感覚。
薪ストーブのある暮らしは、それらを思い出させてくれる装置のような存在です。
おわりに|取り戻したもの
便利さを捨てたのではありません。 便利さだけでは得られなかったものを、取り戻したのです。
もし今、少しだけ暮らしに疲れを感じているなら、ほんの一部でも「不便」を取り入れてみてください。そこには、静かだけれど確かな豊かさが待っています。



